私たちが物事をどのように見るかについては、色々な態度がありえます。いま仮に楽観主義あるいは悲観主義という単純明快な区別をもってきたとして、実際にすべての人が、たとえばその両極のグラデーションのどこかに収まることにはならないでしょう。
ずいぶん以前にごく適当な人間観察を経て思いついてから、ときどき持ち出している性向の区分に、楽観主義と悲観主義の「混淆」にあたるものがあります。
楽観主義と悲観主義の「中間」がリアリストの態度なら、楽観でもあり悲観でもあるような「混淆」は自ずとそれと異なりますが、さらにそこには同じように見えて、区別されるべき対照的な二種が含まれています。
「楽観的な悲観主義」と「悲観的な楽観主義」とでも名付けておきましょう。
すなわち、普段はどちらかというと楽観的な雰囲気に浸りつつ、その根底に悲観的な世界観を潜ませているような性向と、普段はどちらかというと悲観的な雰囲気に浸りつつ、その根底には楽観的な世界観を潜ませているような性向の二種です。
これまたごく適当な私見によると、両者は相補的な性格であるため相性がよく、互いに好んでいっしょにいられるため、光陰相半ばした似たものかのような印象を、当人たちにさえ与えます。わたし自身の経験でもあります。
ただこの区別を思ったときに、私は迷いなく後者だと思いました。
この世界に生きるとは、安易な期待を持てばたちまち失望に変わりうる日常に身を置くことながら、それでも、その向こうには、たとえ何の具象も伴わなくとも絶えぬ明るさがあって、言うならば希望がある、と思う感覚が私のうちにいつもあったからです。
その感覚はおそらく、いや、間違いなく、私の体のなかでつねにこだましていた、幸せに自分の生をまっとうしたいという強い願いと表裏でした。
気づけば以降の時の経過はただただあっという間でしたが、12年前の夏に、わたしがLiving in Peaceで縁もゆかりも、自然な成り行きもなく活動し始めたことも含め、わたしの来し方に見られる不連続な断片の無数は、すべてそこに由来すると思います。
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私たちは、自らが幸福でありたいと愚直に願うことをやめなくてよいこと。それは、いまの日本社会がよって立つ憲法にも幸福追求権として、生存権、自由権とともに明記された、ほこりある私たちの根源的な権利です。
そして、戦後、新しい時代に向けて発布されたこの憲法において、平和主義と言われるその精神がうたわれた前文のなかに、私たちの団体名の由来があります。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏を免かれ、平和のうちに生存する権利(the right to live in peace)を有することを確認する。」
カントの『永遠平和のために』という著作は、「オランダのある宿屋には、墓地を書いた看板のうえに、「永遠の平和のために」という皮肉な銘が書かれていたという。」というエピソードを記すところから始まります。
思い出せば、少し前までインターネットで「Living in Peace」と検索すれば、真っ先に表示されたのは、枕の販売サイトでした。
起きている間の「平和」、ましてや「恒久の平和(peace for all time)」を語ろうとするなら、ただそれだけで「非現実的な理想主義」への揶揄や批判の声が出てくるでしょう。しかし、理想は現実ではないからこそ「理想」として掲げうるのです。であれば、私たちは人が思わず笑ってしまうような無邪気な理想を、臆面もなく、また飾ることなく、そのままの言葉で掲げるものたちでありたいのです。
またその理想は実際ではないがゆえに、「空想」でもあります。Living in Peaceも、その法的、あるいは社会的体裁とは別に、本質は「理想」という空想のもとに集まった人たちの共同体に過ぎないかもしれません。
しかし、子どもとごっこ遊びを真っ当にやる人ならすぐに了解できるように、空想のなかで、私たちがいかに創造性を発揮する主体となり、私ではないものとともに変化するなかで、生き生きとその瞬間の生を紡ぐことができるか。
このさい私たちは、「空」の一字を「から」ではなく「そら」と意読したいものです。空想とは、「から」の想念ではなく、「そら」という彼方をあなたとともに想うことです。空想の可能性が否定された現実ほど、意味を失ったものはありません。
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日本国憲法公布日の11月3日にわずか先立つ10月28日がLiving in Peaceの設立日で、私たちは、本年、18年目に入ります。
人であれば、ちょうど成年を目前とするこの時期は、私たちにとっても、みずからの根を確認しつつ、健やかな枝ぶりをたくましくせんと期する節目です。
かつて私たちは「社会を変える」という言葉を使っていました。しかし、「社会を変える」と言うさいの「私たち」は、変わる必要がないものとして社会の外にいるわけではありません。私たちもまた社会のなかにいるのであり、そこにおいて社会が変わるということは、わたし自身が変わる、あるいは変えられてしまうということ抜きには、起こりえないものです。
「悲観的な楽観主義」を自認していた私は、気づけばこの12年を経て、ただただ楽観的ともいえるような(うすぼんやりとした?)人になりました。ただ望むばかりだった幸せも、今ならその形を指でなぞれるように思います。その変化を、Living in Peaceとその活動が、またそのなかで出会った数多くの得難い出会いが、担ってくれました。
これはこと私の経験ですが、Living in Peaceの17年の歩みと、そこに関わった人々の数を思えば、私ばかりのものではないと信じます。
毎年毎年同じように芽吹いては、花を咲かせ、実をなしては葉を落とす樹木も、新たな年月をそのつど消えぬ年輪に刻んでは、また次の年に向かいます。そのように私たちLiving in Peaceも、ここから次の一年に向けた歩みを踏み出します。
私たちがどこまでも高く掲げた理想が、一人でも多くの人々がつどえる傘となり、そのもとで新たな創造と変革と、そしてより多くの幸福が生じていくことを切に願います。
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