終わりの見えない自粛要請が続くなか、社会全体がトラウマティックな反応に覆われはじめています。感染者へのバッシングや、外出自粛をきっかけとした児童虐待の増加などを耳にし、心を痛めている方も少なくないでしょう。
こうした状況の生むストレスやトラウマ反応と、わたしたちはいかに向き合っていくべきなのか? 今の社会において必要となる「トラウマケア」とは?
昨年出版された書籍『トラウマインフォームドケア “問題行動”を捉えなおす援助の視点』(日本評論社)が大きく話題となっている臨床心理士、野坂祐子さんにお話をうかがいました。
聞き手:中里晋三(Living in Peace代表) 構成・執筆:大沼楽
「トラウマのメガネ」をかけよう
―本日はお時間をいただき誠にありがとうございます。はじめに、「トラウマ インフォームド ケア(以下、TIC)」とは何か、おうかがいできますか?
ひとことでいうと「トラウマとその影響を理解しながら、適切なかかわりを持つ、対人援助におけるアプローチ手法」のことです。
相手が何か問題に見える行動を起こした際に、「この行動の背景には、トラウマやストレスがあるのかもしれない」という可能性を考えながらケアを行うアプローチですね。
(左)野坂 祐子/のさか さちこ 大阪大学大学院人間科学研究科臨床教育学講座・教育心理学分野准教授。博士(人間学)。臨床心理士。公認心理師。大阪教育大学学校危機メンタルサポートセンターでの勤務を経て、2013年より現職。 (右)中里 晋三/なかざと しんぞう 認定NPO法人 Living in Peace 共同代表
「ケア」というと難しく聞こえるかもしれませんが、けっして専門家だけがするものではありません。むしろ、家庭における親子のかかわりの中でこそ意識してほしいと考えています。
たとえば休校中の子どもが家でダラダラとゲームばかりしていると、「この子は怠けている!」と思って叱りつけそうになるかもしれません。そうした時に、叱るのではなく「どうしたのかな?」と考えてみる。すると、ふだんの様子との違いや最近のできごとから「もしかしたら何か気がかりなことがあって、それを紛らわせるためにゲームをしているのかもしれない」と思いあたるかもしれません。
そこで子どもの傷ついた心に気づくことができれば、いたずらに叱ることなく、子どもとケア的なかかわりを持つことができます。
もちろん、何か原因があってダラダラしているとわかったとしても、「ゲームばかりしている」状態をOKにするわけではありません。生活リズムが崩れてしまいますし、そもそも気を紛らわせているだけならば、子どももゲームを楽しめているわけではない。であれば、叱るのでも、際限なく受け入れるのでもなく、「どうしたらいいだろう?」と一緒に考えていく。それがケア的なかかわりといえるでしょう。
―ご著作のなかでは、そうした想像力を持つことを「トラウマのメガネをかける」と表現されていますね。
「トラウマのメガネ」をかけて見てみると、これまで気づくことのなかった相手の「心のケガ」が可視化されます。そして、その「心のケガ」に対して適切なケアを行わないと事態は悪化してしまう。
特に今は新型コロナウイルス関連の報道を中心に、子どもたちは連日のように「今日は何人が感染」「死者は何人」というショッキングな情報に触れています。そもそも生活の変化が生じること自体が、子どもにとっては大きなストレスになります。ケアが必要な子どもは少なくないはずです。
―まさに今の状況でこそ必要といえるアプローチですね。背景にあるストレスやトラウマに気づいたとして、どのようなケアが必要となるのでしょうか?
どの程度の「ケガ」であるかにもよりますが、基本的には、ストレスを言葉として出せるようにサポートすることが大事です。
心理学的にはアクティングアウト(行動化)といって、「口に出せない感情や葛藤が行動に表れる」という考え方があります。これは裏を返せば、自分の気持ちや悩みを言葉で表明できるようになれば、行動や状態は改善していくということです。
たとえば自傷行為なども、自分で自分の気持ちをうまく感じられず、表明することができない時に起こりやすい。また、自分のなかにある不安や焦り、おそれといった気持ちを、他者への暴力で表してしまうケースも少なくありません。行動ではなく言葉で気持ちを表現できるようにコミュニケーションを行なう必要があるのです。
―具体的には、どのようにかかわればよいのでしょうか?
まずは、相手の気持ちを理解しようとし、それに寄り添うことです。もし相手の行動の裏に不安な気持ちを見つけたなら、「不安なんだね」と相手の気持ちに共感する。相手の状況がわかれば、さらに「それなら不安になるのももっともだよ」と伝える。そうすれば相手は、「そうなの、不安なの」というように言葉にできるようになります。
こうしていうと簡単そうに聞こえますが、実際には「そんなこと気にしないほうがいい!」とか「大丈夫よ!」などと、相手の気持ちを否定してしまいがちです。よかれと思っての励ましや助言も、本人にとってはプレッシャーとしか感じられないということが往々にしてあります。そうすると、逆にどんどん気持ちが言葉にできなくなってしまいますよね。
―気をつけたいポイントですね。TICは子どもに特化したアプローチなのでしょうか?
現在は児童福祉領域において取り上げられることが多いですが、大人に対しても有効ですよ。TICはもともとアメリカにおいて、成人の犯罪や薬物使用、社会不適応や健康問題を考える中で発展してきたアプローチだからです。
年齢を問わず、犯罪を含めたさまざまな社会・健康問題を理解し、予防していくうえで有用なアプローチだといえるでしょう。
―犯罪予防とつながっているんですね。
1990年代の後半に成人を対象として、犯罪や薬物、健康や寿命に関連する要因を探る大規模な調査が行われました。結果として、これらには人種や性別、年齢などの要因よりも、18歳までに受けた「トラウマ経験」の有無による影響が大きいことがわかったのです。
犯罪行為や薬物使用、つまり問題行動の背景にはトラウマが存在する。それならば、犯罪・薬物からの回復や予防のためにはトラウマケアが不可欠である。これがTICのスタートです。
日本でも薬物依存などの分野から徐々にTICが広まりつつあります。しかし、まだまだ普及したとはいえない。今後、さらに広がっていくことを願っています。
「いい子」に見える子ほど気をつけなければならない理由
―日本の児童福祉領域でTICが注目を集めているのはなぜでしょうか?
児童養護施設や児童相談所などの現場で働かれている方々が、子どもの問題行動はけっして職員の「熱意」や「経験」だけでは解決できないことを実感しているからだと思います。
かつては、非行のある子どもに職員が熱心にかかわることで「こころが通じ合い」、非行から立ち直るという姿がみられました。しかし、近年こうした施設に入所する子どもたちの多くは、家庭での深刻な虐待やネグレクトを経験しています。そのため、「非行」というより「トラウマ症状」とみなすほうが適切な問題行動が増えている。
さらにいうと、トラウマによって「こころ」の発達が阻害されていると、「こころを通わす」というかかわりを持つことがむずかしいという事情もあります。今までのやり方だけでは対応が難しくなっているのです。
また、職員自身も虐待を受けた子どもやその家族とかかわることで、直接的・間接的にトラウマにさらされています。とにかく日本の児童福祉業界は激務です。バーンアウト(燃え尽き症候群)してしまう人も多い。そうした中で、新しいアプローチに期待が集まっているという感じではないでしょうか。
―僕がお付き合いのある方々も、施設職員に限らず、子どもに真剣に向かっている人ほど、自然とTICに目が向いているような印象があります。
昨年厚労省の指定研究として実施した調査では、児童福祉施設におけるTICの取組状況が大きく二分されることが示されました。トラウマケアの重要性を理解し、取り組み始めた施設も多い一方で、「トラウマには触れないほうがよい」と考えている施設も、いまだ半数ほどある。
たしかに、深刻なトラウマを抱える子どもが多い施設では、うかつにトラウマに触れると事態を悪化させる可能性があります。「こころのケガ」に触れれば、なんらかの反応が起こるのは当然です。特に、集団で暮らす施設のなかでは、全体の安全も考慮しなければなりません。トラウマに触れたくないという気持ちもわかります。
しかしトラウマの存在を無視したからといって、トラウマ由来の問題行動がなくなるわけではありません。ゆえに、トラウマケアを行わずに問題行動だけを抑えようとすると、怖い職員による叱咤など、圧力によるコントロールに頼りがちになります。そしてそれは、子どもにとってさらなるトラウマ体験となりかねません。
実際のところ、圧力をかければ、子どもの問題行動はおさまったかのように見えるようになります。しかしこれは多くの人が陥る「落とし穴」だといえるでしょう。実際には、トラウマ反応の再演をしているだけだからです。
―「トラウマ反応の再演」とは?
たとえば父親による身体的虐待のトラウマが要因となって問題行動を起こしている子どもに対して、声の大きい職員が「おとなしくしなさい!」と圧力をかけ、問題行動を禁止したとしましょう。施設からすれば、子どもの問題行動を抑えることができたので、うまく対応できたかのように見えます。
しかしこの状況は子どもからすれば、父親の暴力に抵抗せず殴られていた過去の状況を再び繰り返しているに過ぎないのです。この「トラウマの状況を再び繰り返している」ことをトラウマ反応の再演といいます。
子どもがおとなしくなったように見えるのは、「(父親に殴られていた時のように)感情を殺して無になっていれば、この場はやりすごせる」と考えているからにすぎない。施設が「うまくいった」と考えていても、実際には子どもの生き方を一層苦しくしているだけなのです。
こういう子は、抑える人がいなくなった施設退所後に荒れることが少なくありません。大人が子どもに「いい子」であることを求めてしまっては、本質的な解決にはならないのです。
―なるほど。しかし一方で「トラウマに気づいたところで、どうしようもない」と考えてしまう人も多いとしたら、そこには何が必要となるのでしょう?
まずは、その人がケアされるべきではないでしょうか。トラウマを否定する人は「自分はトラウマなどに影響されず頑張ってきたのだから、他の人も頑張るべきだ」という意識を持っていることが少なくありません。そして実際に、努力をしてきた方が大半です。
トラウマを経験した人は、人が怖くて、誰にも頼れなくなっていることが少なくありません。また、「自分が悪かった」という自責感から、つねに不全感があり、「もっともっと頑張らなければ」と自分を追い込んでしまう人もいます。まずはその努力を肯定し、「頑張ってきたんですね」とケアする。そうして傷つきがケアされるにつれ、トラウマケアに対する印象も変わっていくのではないでしょうか。
いきなり「トラウマのメガネをかけろ」と強制することはできない。まずはメガネを通じたケアを行い、そのメガネを本人と少しずつ共有していく。
そうしたメガネの共有を繰り返していくことで、少しずつ社会全体を「しんどいときに、それを態度に出すことが許される社会」に変えていくべきだと思うんです。
助けを求めることが苦手な人が大勢いる
―そもそも困難な状況にいる人は、自分の困り具合を表現するのが苦手だったり、助けの求め方がわからなかったりすることが少なくありません。そういう人たちに、周囲がいかに気づいていくか。
おっしゃる通りです。今のような緊急事態時には「困った時には助けを求めましょう」というメッセージが多く発信されます。しかし、「助けの求め方」がわからない人、いわゆる「受援力」が低い人は大勢います。そうした人は「助けを求めましょう」というメッセージだけではすくい上げることができない。
中には、自分が今つらい状況にあるということに気づくことができていない人も少なくありません。相談窓口を用意して本人からの申告を待っているだけでは、社会資源が届かない層がたくさん存在するのです。
―だからこそ「トラウマのメガネ」が必要になる。
そうです。相手の表面だけではなく、その背景に思いを馳せる。大丈夫なように振る舞っている人を見た際に、そのまま「この人は大丈夫」と判断するのではく、「この人は自分のつらさに気づくのがむずかしい状態なのではないか」と想像してみる。
人との接触を減らすことが求められている今の社会情勢は、ケアのチャンスを作りだしにくくなっている状況ともいえます。であるならば、チャンスを作るという発想だけではなく、少ない接点をチャンスとしてもっと活かしていく発想が必要です。
Living in Peaceさんのように、食事提供の活動をしている団体さんなどには特に意識してもらいたいと思います。場合によっては、せっかく食事を提供しているのに、利用者さんから「量が少ない」「美味しくない」といった文句をいわれてしまうことがあるかもしれません。
しかし、そこで「この人は、なぜそのような発言をしたのだろう?」とトラウマのメガネをかけて想像すれば、誰かに助けてもらうことに対する居心地の悪さがあることがわかったり、もっとしんどい状態にあることに気づいてほしいというSOSが聞こえてきたりするかもしれません。
それがわかると、「大変な時に助けを求めてくれてありがとう」「来てくれてよかった」と応じることができます。それが、ケア的なかかわりになるんです。
―ストレスから知らず知らずに衝動的なことをしてしまったり、思わぬことをいってしまったりというのは、振り返ると心当たりがある人も多いのではないかと思います。自身のそうした行動を避けるためには、どんなことを意識してしていけばよいのでしょう?
やはり大切なのは、トラウマやストレスの及ぼす影響を正しく理解すること、つまり「インフォームド(知る・前提にする)」ではないかと思います。
たとえば今なら「仕事に集中できない自分に落ち込む」「家族の行動にイライラしてしまう」といった状況に陥っている人も多いでしょう。
わたしたちは現在、非常にストレスがかかる状況に置かれています。ストレスがかかっている時に集中力が下がったり、他人の行動に神経質になったりするのは当たり前のことです。そこに気づけるだけでも少しは楽になるのではないでしょうか。そこに気づいたうえで、自分なりのリラックス方法を見つけられるとよいですね。
子どもは親の表情から状況を判断している
―そもそもトラウマティックな状況にいたる要因を減らすには、とりわけメディアの自覚もいっそう求められますよね。
今回に限らず、わたしたちの社会は過去にもさまざまなトラウマを経験してきました。そのときの経験を活かす必要がありますね。
たとえば、アメリカ同時多発テロ(9.11)の際には、当初、ビル爆破シーンが繰り返し放映されていましたが、アメリカではすぐに、親向けに「この映像を子どもがひとりで見ることがないように気をつけてください」というテロップを流す措置が取られました。
東日本大震災(3.11)の際にも、津波映像の取り扱い方が議論されていましたね。そのシーンだけを繰り返し見ることで、大人も不調をきたしやすくなりますし、子どもがひとりで見続ける悪影響の大きさもすでにわかっています。今回の新型コロナウイルスについても、ウイルスの画像を多用する必要があるのかなど、丁寧な議論が必要だと思います。
また、情報を受け取る側も自身のメンタル状況を加味しながら、正しい情報を選んだり、そもそも報道から距離を取ったりするなどの選択肢を持つ必要があるでしょう。
―子どもがいる家庭では特に大人による配慮が不可欠ですね。
子どもの場合には直接的な影響に加えて、間接的な影響についても考慮する必要があるでしょう。
小さい子どもはニュースの内容ではなく、身近な親の顔色から状況を判断します(これを「社会的参照」といいます)。大人が不安がっていると、子どもも不安になる。子どもは親のことを、本当によく見ていますからね。
―とはいえ親の場合はニュース報道だけでなく、収入の減少といった差し迫った問題によって不安を抱えざるをえないことがあります。子どもにどう接すればよいのか悩んでしまいそうですね。
子どもにわかる言葉で率直に話すのがよいのではないでしょうか。もちろん、子どもの耳に入れるべき話題かどうかは吟味する必要がありますが、そのうえで、できるだけオープンに話し合うことが望ましいですね。
大人が無理して「大丈夫だよ」といっても、子どもは「無理しているんだろうな」と察して逆に心配になってしまいます。それよりも、「どうなるかわからなくて心配だね」と正直な気持ちを分かち合ったうえで、「でも、なんとかしようとみんなで相談しているところなんだよ」など、前向きに現状を伝えたほうが子どもは安心するものです。
大変なときでも、大人が協力して頑張っている姿を見れば、子どもは安心します。逆にいうと、目の前で両親がケンカばかりしていたら、子どもはウイルスよりもずっと怖いと感じるでしょうね。
頑張りの競争は「排除」を生む
―気をつけたいポイントがとても多いですね。
とはいえ、無理は禁物です。それぞれが余力の中で、無理のない範囲で意識を変えていくことがベストではないでしょうか。
ストレスがかかっている時、どうしても人は極端な発想に陥りがちです。「これくらいじゃダメだ」「もっとちゃんとしなきゃ」と、完璧主義になってしまう。しかし、それではストレスがさらに高まってしまいます。
またストレスがかかると、「私はこんなに頑張っているのに」といったように、他者と自分の比較も起こりやすくなります。そうした比較は、「(私と比べて)あの人は頑張っていない」という攻撃に転じてしまうことがあるので注意が必要です。
―そうした比較に限らず、「戦争」や「非常事態」というレトリックのもと、社会が盲目的に駆り立てられていく雰囲気に危機感を覚えています。それは排除の論理と一体です。たとえば、「みんな一丸となって頑張ろう」といわれるとき、その「みんな」からは「頑張り」を怠った人として感染者が排除されてしまっていたりする。
まるで感染した人が加害者であるかのような錯覚に陥ってしまっていますね。先に述べたストレス時に現れる極端な発想のひとつだといえるでしょう。
しかし本来、「加害/被害」というフレームで考える必要は全くない。これは、ただの感染症です。誰もが感染するリスクがある。そして、誰もが治療を受ける権利がある。けっして、誰も悪くない。
感染した本人が「あの時、やっぱり出歩かなければよかったな」と個人的に反省することはあるかもしれませんが、それは他の人が責め立てるべきことではありません。
―たったひとつの模範を追求してしまう。いやむしろ、すがってしまう様子がさまざまな場面で見受けられます。そして、何がそうした反応を生み出しているのかと「メガネ」をかけて考えたとき、社会全体の抱えるトラウマが見えてくのではないでしょうか。
そうですね。そうした「これしかない!」という発想もトラウマ反応の典型です。
今は社会全体が大きなストレスに晒され、トラウマを抱えている状況です。その結果として、社会全体が「こうあるべき」という狭い見方に陥ってしまっている。そして、その見方は排除を生む。
トラウマ反応と無関係な人はいない、誰もが傷ついているという認識を持ち、社会全体としてケアに取り組んでいく必要があるのではないでしょうか。
―おっしゃる通りだと思います。ストレスや傷つきが連鎖・増幅しないよう、それぞれが無理のない範囲で「トラウマのメガネ」をかけて行動し、社会を少しずつ良い方へ変えていく。
けっして簡単なことではありませんが、そうした態度こそが、先の見通せない今後の社会を、確かに生きていくための備えになるのだろうと感じました。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。ぜひまたお話ししましょう。