真実であることの価値がゆらぐ昨今の国内外の政治的状況が、「ポスト・トゥルース」と語られることが増えました。
しかし21世紀に限らず、かつてのベトナム戦争にまつわる米国の政治的状況について経済学者の猪木武德は、宗教的信念の希薄な民主主義社会においてことばへの信頼が脅かされやすいと指摘しており、思わず首肯するばかりです。
ことば自体、真実を伝えるだけのものではありません。謝ったり、約束したり、あるいは美しいレトリックで魅了したり、いずれもことばの大事な側面です。
しかしながら、ことばが真実と無関係になれば、それはもはや力と力のぶつかり合いを体裁よく見せるものでしかないことを、肝に銘じたいと思います。
権力と無縁な子どもでも「王様ははだかだ!」と声をあげられること。やはりそれがことばの核心であり、ことばへの信頼もその真実性への信頼です。
幼い子は「これは何?」「これはどうして?」と問うことで、ことばを理解する以上に、ことばの可能性を信じ、ひとりの人格として社会のなかで育っていきます。
「嘘をついてはいけない」など、誰に言われるまでもなく、実はみな知って育つのです。子どもへの嘘、あるいは嘘の強要の破壊性もまた、それゆえ私たちは忘れてはいけません。
ことばは正しく使おうとし続けなければならない。なぜなら、使ったことばは決して消えないから。
消えるのは声や筆跡、あるいは記憶であり、ことばが使われた事実は永遠に消えません。その意味で「わたしのことば」はもっとも身近で絶対的な「わたしの他者」であり、わたしたちは生きるうえで「ことばと仲良くする努力」が不可欠です。
さて、Living in Peaceは10月28日に創設14周年を迎え、それに先立ってリニューアルしたウェブサイトの冒頭には「社会のことも、私事(しごと)に。」ということばが映ります。
その意味は「ABOUT(私たちについて)」をご覧いただければ幸いですが、十文字程度のこのことば一つを掲載するまでに、私たちは何度もゼロから議論をし、多くの時間を要しました。
もちろん、だからどうというわけではありません。しかし、こうしたこだわりはこれまで同様、これからも私たちが大事にすべき価値観のひとつだろうと再度確認する機会になりました。
創設14周年を無事に迎えられますお礼と合わせ、拙いながらこの節目に書いておければと存じます。
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