12月に入り、数え切れない人たちの心中を「今年もあっという間に終わってしまった」という言葉がよぎっていることと思います。
もちろん時間の概念的には「時間の速度」なんて考えられないわけですが、気づけば12月だったという驚きはとにもかくにも否定しようがありません。それは「駆け抜けた」というよりは「翻弄された」と言うべきものでしょう。
しかし、年明け早々、緊急事態宣言の再発令から始まったことを思えば、事態は本当に大きく前進しています。どうか、みなさん一人ひとりの頑張りを過小評価することなく、しっかり労わってあげてください。
私たちは幼児期のトイレットトレーニングに始まり、頑張ること尽くしで日々生きています。またそれは、労われるよりは称賛や叱咤によって、次なる頑張りに向かわされることが多いものでしょう。
労わるというのは、何代にもわたって使い続けられた古い家具を、傷や不具合もひっくるめて、ただ愛でるということに似て、気づいたら背負っていた重りを自らが今一度ずっしりと感じてみることでもあります。
事実、だいたいが生きることは不快です。
当たり前すぎてわさわざ意識しなくなっただけで、どんな人も、感じていても仕方がない不安や不満を「まるで感じないかのうように」生きています。
裏を返せば、朝起きて布団から出るさいのだるさ、人目を気にして身なりを整える面倒くささ等々、あえて書くのも愚かしいと感じるさまざまな不快さを、私たちは当たり前に感じて生きているのです。
「労わる」とは、まさにそのような取るに足らないと思ってやり過ごしてきた様々なしんどさを、少なくともその瞬間は認めてあげようと立ち止まることではないでしょうか。
自身の取るに足らないと思っていた傷つきを認めるのが主眼ですから、そんなときに他と比較するなどもっての外です。ひさびさに温泉につかるような気持ちで(そんな時間はなかったとしても)体の隅々をやさしく撫で、ほぐしてくように、一つひとつの傷を労わってあげてください。
みなさま、2021年という激動の一年、本当にお疲れさまでした。
だいたいが不快な人生は、しかし幸福に生きられる可能性を無限に秘めたものでもあります。
来年もまた、できればよりいっそう、皆さまに幸いなる一年となりますようお祈り申し上げるとともに、本年いただいた多大なご支援・ご声援に改めて深くお礼申し上げます。
どうか心暖かなクリスマス、そして元旦をお迎えください。
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