目次
本記事の執筆時点である2017年10月上旬。次々と発表されるノーベル賞の各分野の選出が世間を賑わせています。約10年前の2006年には、バングラデシュのマイクロファイナンス機関である「グラミン銀行」と、その創設者であるムハマド・ユヌス氏がノーベル平和賞を受賞しました。
1970年代に米国留学を終えて母国に帰国し、経済学者として教鞭をとっていたユヌス氏は、貧困に苦しみ、高利貸しからお金を借りざるを得ない人々を数多く目の当たりにしました。そして、貧困層の小規模事業に小口の融資をすることを通じて貧困削減を目指す、「マイクロクレジット」の提供を始めました。これは、貧困層のニーズに合わせて貯蓄や保険などのサービスを拡充する「マイクロファイナンス」へと、後に転換していきます。
グラミン銀行の成功もあり、マイクロファイナンスは数多くの途上国に普及していきます。しかし、「貧困層がどのようにお金をやりくりして生活しているのか」ということは、明らかになっていませんでした。その点を画期的な研究手法で分析したのが、今回紹介する『最底辺のポートフォリオ』(みすず書房、原題:Portfolio of the Poor)です。開発経済学者のモーダック氏やマイクロファイナンス機関の創設者であるラザフォード氏らが執筆しました。
彼らの研究手法は、ずばり「貧困層の家計簿を作る」ということです。従来の調査のほとんどは、家計の収入や貧困者数をある時点だけ記録する「スナップショット」のようなもので、一定期間のお金の流れに着目したものはほぼ皆無でした。モーダック氏らは複数国の貧困層の家計簿を収集することを通じて、貧困層の「お金のやり取り」に迫ったのです。その結果、次のようなことが明らかになりました。
第一に、貧困層の収入は低いだけでなくかなり不安定だということです。例えば、開発経済の分野では「1日2ドル以下で生活する人が●億人」という議論がなされますが、「1日2ドル」というのはあくまで一定期間の平均値であり、調査対象世帯の中には2ドルを大きく上回る日もあれば収入が全くない日も珍しくありませんでした。日々の生活をやりくりするだけでなく、災害・病気などの緊急時への対応にも迫られるという貧困層の直面する問題が、明らかになったのです。
更に、貧困層は様々な「金融ツール」を使うことで日々の生活をやりくりしていることも、調査から分かってきました。図表はある調査世帯のバランスシートですが、資産・負債にはマイクロファイナンス・ローンだけでなく様々な項目が並んでいることが分かります。リスクレベルの異なる「金融ツール」が、調査対象世帯では平均9つも利用されていました。貧困層の「お金のやり取り」は想像していたよりも単純ではなかったのです。
貧困層のバランスシートを仔細に見ると、マイクロクレジット以外にも家族・友人や高利貸しなど、様々な「インフォーマル」な手段を貧困層が利用していることも分かってきます。銀行などのフォーマルな金融へのアクセスがない貧困層にとって、より信頼できる「セミフォーマル」な金融サービスを提供するマイクロクレジットの登場は非常に画期的でした。しかし、インドや南アフリカなどではマイクロクレジットの利用はそこまで進まず、むしろ家族や友人から借り入れをしたり、年率数百%という一見不合理に思える高利貸しを利用したりする貧困層は少なくありませんでした。
では、マイクロクレジットの利用が思ったほど進まなかったのは何故なのでしょうか。モーダック氏らは、貧困層が主に金融サービスに「柔軟性」「利便性」「信頼性」を求めるなか、従来のマイクロクレジットには「柔軟性」が欠けていたのではないか、ということを理由に挙げます。毎週のミーティングに時間通りにローンオフィサーが来て正確な額のお金を貸してくれるし、高利貸しよりも低利であるということから、マイクロファイナンスには「信頼性」がある。その一方で、「毎週一定額の返済や貯蓄が求められること」など、「柔軟性」が欠けたサービスであることを、彼らは指摘するのです。さらに、貧困層の金銭の管理の難しさは収入の少なさよりも、「得られるタイミングが極めて不確実である」ことから、「信頼性」は低いが「柔軟性」は高いインフォーマルな金融手段に依存せざるを得ないのではないかとも、本書で示します。
著者らは、グラミン銀行を始めとしたマイクロファイナンス機関が、従来のマイクロクレジットから保険・貯蓄など様々な金融サービスを提供するようになったことを評価はしています。しかし、途上国の貧困層の「お金のやりとり」を明らかにすることによって、「貧困層のキャッシュフローの現実に即したサービス」をもっと提供すべきだと主張しています。このように、「顧客本位のマイクロファイナンス」のために何が必要であるかを画期的な調査を説得材料に説いたという点が、『最底辺のポートフォリオ』が開発学の必読書として評価される所以でしょう。バナジー&デュフロの『貧乏人の経済学』、カーラン&アペルの『善意で貧困はなくせるのか?』と合わせて、「開発経済学の三部作」とも呼ばれています。
(調査グループ:森)